リンパスクール ドリームヒント
校長加藤琉魅子です。

実は4月26日から
お休みをいただいています。

理由は私自身の
『左膝内側副靭帯及び半月板損傷』
です。

 

以前に、肩の石灰化をレポートしました。

その時はちょうど肩リンパの練習会があり
肩リンパを2回受けただけで
痛みが消えたのですが

今回はかなり重症で
連休明けまで
仕事は休まざるをえなくなりました。

 

私の周りにも
膝の痛みを抱えた方も多くありますし

これからセラピストとして
同じ症状を持つお客様に出会う機会が多い
スクール生さんの勉強にもなると思うので

完治の日まで
膝痛の体験レポートを
して行きたいと思います。

膝痛の遺伝的因子

亡き母は、60代頃から
『変形性膝関節症』で膝の痛みを抱え
長く苦しんでいました。

私はそんな母親譲りの体型。

脚も母と同じくO脚でしたので
家族からも歩き方を指摘されてきました。

自分でも改善の必要性は分かっていましたが
なかなか改善することができないまま
この歳になってしまいました。

膝痛の生活因子

私は元々、身体を動かすことが大好きで
50代までは

エアロビ・ジャズダンス・テニス・水泳・バレエ

と、ずっと趣味で筋肉を使って来ました。

それが50歳でドリームヒントを
立ち上げてからは、仕事一筋!

特にリンパサロンから
リンパスクールに重心を置くようになって
身体を使うことが少なくなり
筋肉の衰えも目立って来ていました。

特に孫が生まれてから
腰痛に悩まされることが増えていて

その度にリメディアルをしてくれる娘に
特に下半身の背面の筋肉量が
減っていると指摘を受けていました。

そこで年明けから
孫と一緒にプールに通い
毎週一時間は泳いだり歩いたりしていました。

 

また、ちょうど今から3年前
オーストラリアの国家資格であるリメディアルを学び
スクールに取り入れてからは

ありがたいことに
スクール生さんは途切れることなく増えて

それに応えようと自身の身体を酷使して
スクールを続けてきました。

膝痛の直接因子

そんな仕事仕事の日々の中でも
若い頃から続けている
音楽活動は続いていました。

今年の3月には
三日間、スタジオ録音をしました。

学生時代から続けている
フォークソングの先輩の
CD制作のお手伝いで
キーボードを弾きました。

 

背もたれのない丸椅子に腰掛けて
お昼ご飯もそこそこに
休憩は録音の合間の水分補給くらいです。

左足でリズムを取るために
長時間膝にグッと力を入れて曲げた状態で
何時間も過ごしました。

 

三日目の夕方録音が終わり
片付けをしている時に膝に痛みを感じました。

その後、1時間の運転で家に帰ると
左膝が腫れて、痛みで膝が曲げられなくなりました。

整形外科での初診

翌日になっても痛みが続いたので
近所で開業したての整形外科を受診しました。

その整形外科は
ガラス張りの立派なリハビリルームを持ち
待合室には、有名プロスポーツ選手からの
賞賛の色紙が並んでいます。

患者が次々と来院して
待合室は満員です。

 

担当医師は、膝に触れて痛む部分の確認をし
レントゲン写真を見て次のように診断を下しました。

「O脚なので、骨が擦れ合うのを支えようと
骨にトゲができていますね。

軟骨がすり減って
骨が擦れる痛みでしょう。」

この骨のトゲは
めったなことでは無くなることはない
とのことで、痛み止めを処方され
翌週からリハビリをすることになりました。

まとめ

初診の結果は
私が思っていた通りのものでした。

そして、母親と同じ膝痛を経験することで
今更ながら当時の母に寄り添うことができた自分がいました。

 

この時点で私は
「めったなことでは治らない」
と医師から言われた膝を治して見せよう
と密かに闘志を燃やしました。

 

リンパスクールを開いて10年以上。

曲がりなりにも身体についての知識は
持っていると自負しています。

年齢こそ64歳にはなりましたが
普通の年寄りではありません。

 

こうなったら

これまで見て見ぬふりをしてきた
O脚を改善するために
今度こそ一から生活を見直し

一週間後の診察までに
私なりに色々とやってみることにしたんです。

その結果がどうなったかは
連載の第二回でお伝えします。

【連載:校長、膝の痛みと闘う!】

  1. 膝痛発症までの経緯と初診
  2. リメディアルで解決するのか?
  3. 突然の悪化とセカンドオピニオン